EMITHIC&CELTIC

エッセイ『東北とケルト』Essay/Emishic&Celtic heart on my mind
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■ニューカッスル行きの汽車が出る町カーライル。ハドリアンウオールはこの町から程近い。


ハドリアンウオール
 ハドリアンウオール。イングランドとスコットランドの境界にあるローマ時代の遺跡の名だ。1989年、はじめての海外旅行、英国をバックパックで旅していたときのこと。カーライルからニューカッスルまで鉄道で移動していた車中、一組の父子と座りあわせた。途中、父が子に車窓をうながし、なにやら説明を始めた。英語力が乏しい私にも聞こえた単語は「ハドリアンウオール」。あわててガイドブックを開き解説を読んだ。
『……スコットランド先住の民「ケルト」に対するローマ帝国の防衛ラインで、そこここで発掘が今なお続いている……。』
 万里の長城のローマ版といったところか。石くれを積み重ねた石垣が多い英国北部。石垣なのか遺跡なのかわかりにくい。辺境警備の砦だった遺跡が窓の外、延々とのびる。
 はるか昔、ローマが栄えたハドリアヌス帝の時代、辺境警備のため派遣された兵士たち。彼らは何を思って目前に広がる荒野を、「ケルトの地」を見ていたのだろう。ケルトを初めて意識した時だった。旅はハドリアンウオールを越えることなく終わり、英国を後にした。
 帰国後、はじめて他国の空気にふれた私の心は、英国一色に塗りつぶされていた。重度の「初・海外旅行病」だ。なにもかもが英国との比較。ふるさと「東北」の色など、考えてみることすらなかった。


■「セブンシスターズ」とも呼ばれるドーバーの白い崖。丘のなだらかな曲線が突然くびれ海へ落ちる。


ロビンフッド
 帰国後、一年ほどしてある映画を見た。タイトルは「ロビンフッド」。舞台は英国。悪代官ノッティンガム候に英雄ロビンフッドが庶民をひきい戦いを挑む、という冒険活劇モノだ。英国のシーンはドーバーの白い崖からスタート、ハドリアンウオールでロケされた?と思われるシーンなど、次々に英国の風景がスクリーンに広がる。
 実は本編に先立ち予告編も見ていたのだが、ワンカットの気になるシーンがあった。毛皮をまとい斧や刀を振り回した、いかつい集団が攻め入ってくるカットだ。荒くれ者たちの正体は本編で明かされた。
 「ケルトの蛮族にロビンフッド征伐の加勢を頼んだ」という意味のノッティンガム候のせりふ。「金品に目がない蛮族」として映画では描かれていたが、容姿やとらえ方がどうあれ、映像として「ケルト民族」が私の前にはじめてあらわれたのだ。ケルトへの興味がわずかに首をもたげた。
 悪役としてスクリーンに現れた「ケルト民族」。けれども私の心に刻み込まれたイメージは逆のものだった。「蛮族特有の野性味を兼ね持つ素朴な民族」。それが私の彼らに対する第一印象だった。しかし、まだ「ケルト」は心に落ちた一粒の種にすぎなかった。しばらくはドーバーの白い崖をこの目で見たい、英国の空気をもう一度吸ってみたい、そんなことばかり思っていた。


■古都エジンバラのオールドタウンで画材屋さんをみつけた。店先のカラフルなオブジェがユニーク。


スコットランド
 私が再び英国を訪れ、ハドリアンウオールを越えたのは1992年のことだった。さきにドイツ、オーストリア、ポーランド、ベルギーをまわった後、ドーバーの白い崖を見るために英仏海峡をフェリーで渡り上陸した。
 英国での旅程はひと月。イングランド、スコットランド、ウェールズをひととおり見て歩こう。ゆったりと旅をすすめた。鉄道でイングランドからスコットランドに入り、エジンバラ・ウェバリー駅に降り立つ。空気がイングランドとは明らかに違っていた。どこからかバグパイプの音色が聞こえてくる。心とからだが、不思議な感覚でみたされた。
 懐かしい。そう、「懐かしさ」だ。はじめて訪れた地にもかかわらず「懐かしい」。まるでふるさとに帰ったときのような安心感でスコットランドの旅は始まった。スコットランドは南の低地地方「ローランド」と、荒涼とした北の高地地方「ハイランド」に分かれる。旅は「ハイランド」にある湖、ネス湖のほとり、インバネスという町で折り返しとなった。旅の中、ずっと感じていた「なつかしさ」の理由には答えが出せないままにスコットランドを後にした。
 スコットランドで抱いた感覚が、その後ウェールズ地方を訪れたとき、心によみがえった。大柄なおじさんがパブで話しかけてくる。訛がひどく何を言っているのかわからない。けれど暖かく包み込んでくれる、そんな感じだ。やはり、「ふるさと」を感じさせる「何か」が、ウェールズ地方にも確かにあった。
 心の中に落ちた「ケルト」の種は芽をのばし始めていた。


■英国の魅力の一つは曲がりくねった道だと思う。カーブを曲がる。新しい風景がひろがる。そんな道をひたすら歩いた。


ランズエンド
 帰国後、長期の休みを与えてくれた会社に一度は戻ったが、結果、二年を待たず、フリーイラストレーターとして独立。アトリエの屋号には、英国南西端の岬の名前からとり「ランズエンド」と名付けた。実はこの時は知らなかったが、ランズエンド岬があるコーンウオール地方もまたケルト民族、文化の痕跡が残っている地だったのだ。しかし、私が「ランズエンド」とケルトの繋がりに気づくのはさらに数年かかることになる。(以下次回へ続く)


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