EMITHIC&CELTIC

東北とケルトの映画案内/Emishic and Celtic world on the screen 文/古山けい



●寄稿者プロフィール
ライター/日本映画学校卒業。98年頃からエンターテインメント系媒体で映画紹介、批評などを執筆。


《アイルランドでソウルバンド !?》

 それはまるで、どんよりとした曇が覆うアイルランドの空を、突き抜ける事を希求する若者達の心の叫びのようだ。『ザ・コミットメンツ』では、東北の地方都市の若者にも共通するそんな心情が描かれている。
 アイルランド出身のミュージシャンと言えば、あの世界のアイリッシュバンド、U2をはじめ、シンドニー・オコナー、エンヤ、そして、重鎮ヴァン・モリソンと類い稀な才能を持つアーティストが多い。様々な神話と歴史、政治的背景がそんな個性を育んだと言葉にするのはあまりに暴言がすぎる。本作からも、残念ながらそれを読み解くのは難しい。読み取れるのは、空はどんよりと曇り、決して生活は裕福でなく(先に述べたミュージシャン達の幼少期の環境は知らないが)、血気盛んな若者たちには刺激が少なく、しかし、音楽は常に傍にあるといったところだ。そんな若者達はどのような夢を見るのか。この映画の主人公は、自分がマネージャーとなって、ダブリンに“本物のソウルバンド”を作ろうとする。もちろん、ソウルミュージックといえば聖地はアメリカである。有色人種が虐げられた時代、黒人の生活と信仰から生まれた音楽、ゴスペル、そしてブルースを源流とする音楽。決して恵まれた環境から生まれた音楽ではない。時を経て、この映画で描かれる90年代のアイルランド、ダブリン。労働者の街。この街の若者達を取り巻く環境もまた、決して恵まれていたわけではない。失業、そしてアイルランド=IRAという世界的悪しきイメージが残っていた頃。U2のボーノがライブで「ファック、レヴォリューション!」と叫んでいた時代。そういった背景で育った若者が“本物のソウルバンド”を作ろうとする姿は、何故かこの映画に描かれている彼等の日常(恋や喧嘩という若者達のありふれた日々)を通してでも、ぼやけて見え隠れする影をも突き抜けようとする、若者の心の叫びなのだと感じ入る。
 ダブリンは音楽が盛んで、様々な音楽を嗜好する若者達が音楽で退屈な日常を変えようとひしめいているという。実は、この映画のバンドもダブリンに実在するソウルバンドで、映画製作の後、デビューを飾っている。つまりは、本物のソウルバンドの演奏がこの映画では見られるのだ。その音楽的迫力、特に、ライブ場面のエモーショナルな演奏は必見である。
 さて、突然ではあるが、あなたは夢に向かって奔走した時があるだろうか? そんな経験がある人たちにとっては、主人公が鏡に向かって自己対話をする場面を懐かしき日々と気恥ずかしく思うかもしれない。しかし、今も時々鏡に向かって自己対話をしている人は、きっと何処かに向かって走り出したいのかもしれない(「若者」ならばそれは特権だ)。この初期微動は夢への初期衝動。青森県出身の寺山修司は「書を捨てよ、町へ出よう」と言った。街へ出て、仲間を集めて事を成す(とは何か)という事の重要性をこの映画は教えてくれる。
 余談ではあるが、この作品の監督、アラン・パーカーはアイルランド出身ではない。確かイギリス出身の人である。この映画はイギリス出身の監督がアイルランドのソウルバンドを紹介している映画ともいえる 一 とすれば、日本の東北地方仙台在住の画家、古山拓が、アイルランドの風景をキャンバスに描き日本人に紹介しているという点において作家的共通項を見出せるだろう。アイルランドの何らかに心を掴まれた作家として。


今月の映画
『ザ・コミットメンツ』
(1991年/監督:アラン・パーカー 出演:ロバート・アーキンズ、アンドリュー・ストロンズ、アンジェリン・ポール、マリア・ドイル)
 ある日、失業中の若者ジミー(ロバート・アーキンズ)は、“ダブリンに本物のソウルバンドを作ろう”と思い立ちメンバーを集める。バンドマネージャーのジミーの元に集まって来た個性豊かな面々と共に、ダブリンのライブハウスを中心に活動を始めた彼等は、着実に実力を付けブレイク寸前まで辿り着く。そんな時、ひょんな事からウィルソン・ピケットとの共演話が舞い込むのだが……。


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