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「フィリピンふんどし 日本の夏」

JAPANESE SUMMERS OF A FILIPINO FUNDOSHI

フィリピンふんどし 日本の夏

独自のアンチ・ハリウッド的な視点から、西洋と東洋の身体観の差異というテーマを、フィリピンの民族衣装バハグ(フィリピンふんどし)をキーとして、ユーモアあふれた思索的なアプローチによって描き出す。

製作・監督・撮影・編集・出演:キドラット・タヒミック
音楽:シャント・ヴェルドゥン、ジョーン・クラウディオ、グレース・ノノ、ピニク ピカン・バンド
編集:チャーリー・フグント
企画:愛知芸術文化センター
制作:愛知県文化情報センター
(1996年日本・フィリピン合作/英語/16mm/カラー/39分)


フィリピンふんどし 日本の夏 フィリピンふんどし 日本の夏




作品解説
 これまでに、『T-CITY』(勅使川原三郎監督、1993年)、『トワイライツ』(天野 天街監督、1994年)、『KAZUO OHNO』(ダニエル・シュミット監督、1995年)など、 「身体」をコンセプトに様々な作品を生み出してきた愛知芸術文化センター・オリジ ナル映像作品の第5弾、シリーズ最新作。
 今回は、1994年の『虹のアルバム』の上 映、パフォーマンスや、1995年の名古屋国際ビエンナーレ・アーテックにおけるイン スタレーションなどによって名古屋におなじみになったキドラット・タヒミック監督 が、はじめてのアジアの監督として製作した。

この作品は、我々の身体に対する基本的な姿勢についての、そして身体的な美の認 識についての、---我々の植民地化された目というフィルターを通した---映画による探 究である。
 なぜ先住民の男はGーストリングス(ふんどし)を着けるのを恥じるのか? なぜ 東洋人は西洋人の長い鼻に敬服するのだろうか? なぜマリリン・モンローの胸がア ジアの女性にとって理想的な形なのだろうか? いかにしてハリウッドの美の基準が 、我々の文化的嗜好において永続化しているのだろうか?
このような文化的混乱が、94年7月の新宿ギャラリーや、竹寺フェスティバル(7月15日)、そして95年8月の第50回広島慰霊祭における、踊るイゴロト族の身体に表われ る。我々は、何人かの踊り手たちがふんどしの下にジョッキー・パンツを着けたがっ ていたことを発見するだろう。このことは、"すぐれた"西洋のファッションの基準 によって植民地化された人々の文化的不安感や、彼ら自身の非西洋的な身体に対する 恥を反映しているのだろうか?
 有名なマリリン・モンローの写真のジグソー・パズルを完成させた子どもたちの手 が写し出される。コラージュされた映像は、ハリウッドの"美"の誘惑と、我々の趣 味に影響を及ぼしているイエス・キリスト/聖母マリアの理想---そこには、アジアの 木彫師の店にあるミス・ユニバースの標準的スタイルや、シュワルツェネッガー・タ イプの身体像も含まれいる---の、その、両方をなぞるだろう。
 作者である映像作家とその子どもの、ブルー・マットの背景を背にした、シネマ・ ワールド(鎌倉のテーマ・パーク)での、ふんどしを着けてのフォト・セッション。 最終的にこの映像は、モニター上に写し出されたコンピューターによるマリリン・モ ンローの映像とともにデジタル的に合成される。適切な音楽を伴ったこの映像的な不 条理によって、私の息子と私が立ち向かわなければならない植民地化された矛盾の本 質が要約されることを意図している。
---キドラット・タヒミック(企画書より)


『フィリピンふんどし 日本の夏』プレミア記念講演会より

"「ふんどし」は現代を潤すであろう、伝統文化の象徴なのです" キドラット・タヒミック

(愛知芸術文化センター・オリジナル映像作品第5弾『フィリピンふんどし 日本の 夏』が、去る9月1日に当センターにて初公開された。上映に合わせキドラット・タヒ ミック監督が来館。講演とともにユニークなパフォーマンスを披露した。この採録は 、当日の講演および観客との質疑応答より構成したものである。)

映画発想の原点


 この作品は、身体というテーマによる5つの連作の最新作になります。愛知芸術文 化センターからお話をいただいたのは、昨年、広島の原爆投下50周年を記念するパフ ォーマンスを終えて名古屋に立ち寄った時でした。バギオからこちらに、アーティス トたちを引き連れてやって来る時には必ず、平和の集い、儀式のようなものを行なう ようにしています。日本の人たちと平和を分かちあいたいということで、ふんどしを しめて参加します。そんな時でした。友人のアーティストのジョルダンが、ブリーフ をはいた上にふんどしをしめようとしていたんですね。この映画の、身体というテー マについてお話をうかがった時にまず思ったのは、どうしてみんなふんどしをしめた がらないのか?ということでした。ふんどし文化がどうして消滅しつつあるのか?  それははたして、フィリピンの植民地化されてきた500年の歴史に関係あるだろうか ?ということを映画にしてみたいと思いました。

タヒミック流映画制作術


 昨年の11月に、次男のカワヤンが、3つの石膏を使った彫像を作り始めました。私 は、息子が彫像を作りつつある様子を撮り始めました。結果としてどういう形で映画 に収まるか自分でも決めかねないまま、ずっと撮影を続けました。それは、広島で撮 影したフィルムや、東京のP3ギャラリーでのパフォーマンスの様子などを撮影した映 像を現像した時期でもありました。そんな、いろいろな要素が合わさって、ふんどし というものがこの映画の中心的な意味あいを持つことがより明らかになってきたので す。映画に用いるために、さらに以前に撮影したものも掘り起こしてみました。後半 部で、巨大なお相撲さんの版画の前で私が太極拳のパフォーマンスをするシーンがあ りましたけれど、あれも随分前の映像で、1983年ハワイで撮影したものです。それが 、不思議なことに、13年後、こんなふんどしについての映画に登場するようになりま した。これが私の映画作りの方法なのです。脚本もなく、あらかじめ計画を立てるこ とはありません。とにかく、撮影し続けて、それが13年後に編集台の上で、ある形を なしていくことになるのです。

ビデオからフィルムへ


 もう一つ、面白い映像は、昨年オープンしたばかりの、鎌倉のシネマワールドとい うテーマパークで撮影した映像です。その時はビデオカメラで撮影していて、マリリ ン・モンローをめぐる息子との会話は、この時に偶然録音されたもので、映画にその まま使っています。それから、1995年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で偶然に、 原將人監督の『百代の過客』という、ビデオで撮影されていながらフィルムに変換し た3時間余の長編映画を見ました。そんなことに刺激されてか、ビデオで撮影した映 像を16ミリのフィルムに変換して、それを1本の映画につなげていく試みを、今回、 初めてしてみました。例えば、広島の鍼のシーンですとか、シネマワールドのシーン もそうですし、ギャラリーでパフォーマンスしている映像も、ビデオで撮影したもの です。また、去年、私が木彫りを教わっていた関係もあって、私が住んでいるバギオ の近くのイフガオの山々の中に住むイゴロト族の木彫師たちと友情を深めることにな りました。マリリン・モンローの木像などが映画に登場したのは、そんなわけです。

ふんどし料理のできあがり


 そんな撮影を経て、編集室でのお遊びを始めたんです。まるで台所に立つコックの ように、鍋にいろいろな要素をほうりこんでいって、できあがる作品がどんなものに なるか、自分でも想像がつかないままに、あるボディーというテーマに向かって料理 していったという感じです。作り方の順番としては、まず映像をつなげてみて、それ からその上にかぶせるナレーションを考えるわけです。ちょうど、編集の最終段階に 取りかかっている時に、映画にも登場した竹寺の大野治人君という、僧侶の次男が、 バギオに引っ越してきて私の家族の一員として一緒に暮らすようになりました。そん なわけで、治人君との゛お尻とふんどしの会話″から、この映画を始めることになり ました。運命的なことだと思いますけれど、『竹寺モナムール』の中で、治人君が3 歳の時に私に初めてポコチンという言葉の意味を教えてくれたのです。当時3歳だっ たのが、今は16歳ですから、11年後にそのシーンがもう少し成長した男の声で登場し たわけです。
 そんな編集作業でしたから、私のこの映画は、皆さんのためにふんどし料理を作っ たとも言えると思います。これは、宇宙的な料理にできあがったと思います。ふんど しの食べ過ぎで、消化不良にならないといいのですけれど。

「ふんどし」にこめた思い


 ふんどしというものは、体に対しての問題だけでなく、古い文化の一つの象徴、精 神の問題や伝統的な文化の象徴として、私は描きました。  フィリピンに宣教師たちがやってきた時には、今日のパフォーマンスでも見ていた だいたように、十字架をかかげて、これを抱けばお前は救われるという一方的な論理 で、土着の信仰が押しやられてしまったところがあります。宗教の内実にはいろいろ な考え方があると思いますが、それを一方的に誰かに押し付けることは、その人たち の中に消化不良を起こしてしまう。一方的であるが故に食生活が変わってしまうとい うことがあります。  この映画の中で、外来文化のイコンとして押し付けられるものに対する反発は、表 現しているつもりです。マリリン・モンローやシュワルツェネッガーについて私が語 るのはそういったことで、もちろん私たちはテレビを消して反対することはできます けれど、今の文化の中ではハリウッドの影響というのは圧倒的すぎて、どう張り合っ ても侵入してしまうものがあります。そういう意味で、また比喩として、私は宗教を 扱ったのです。私は『悪夢の香り』や『虹のアルバム』でも、さりげなく、するりと 、私たちの日常生活に入り込んでしまう外来文化の危険性について考えています。教 会に行く代わりに映画館に行って、ハリウッドのヒーローたちに、ある宗教的な信仰 を抱いてしまう人たちも現代はいると思います。私の映画には繰り返し出てくるテー マですが、映画の中でも息子と話し合っているのは、そういう圧倒的なものにかつて 私も植民地化されてしまったことです。そういうことがありうるのだということに、 私たちは意識的でなければいけないと思っています。
(通訳:藤岡朝子、採録・構成:越後谷卓司)

(本採録の一部は、愛知芸術文化センターのAAC18号(11月発行)に掲載される予定 です。)